関西で出掛けていない世界遺産、残すところあとわずか。もちろん、季節によって見どころも変わってくるので、同じ場所に何度行っても楽しめるのですが。今回は、桜の名所で有名な吉野に、紅葉を見に行ってきました。ちょっと遅すぎた感も否めませんが、枯れ山の落ち着いた姿もなかなかよかったですよ。
ケーブルの吉野山口から、バスで一気に奥千本まで登りました。ここを徒歩で上がっていく人も多いようですが、かなりきつそう・・・。登りは楽をして、下りは観光しながら徒歩でゆっくり行こう、というのが本日の計画。まずは、森林浴がてらに山道に分け入って、西行庵を目指します。西行は、平安時代末期から鎌倉時代にかけてたくさんの句を残した歌人。もともとは武士で、出家して僧侶となり、各地を旅して句を詠んだそうです。私も知っているものに、”桜願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃”という句があり、実際そのような状況で亡くなったという逸話があります。
結構急峻な道を歩くと、少し開けたところに西行庵がありました。桜のころには奥千本の桜がきれいだろうな、と想像でき、ほんの少し早ければ庵の周りのもみじの紅葉に間に合っただろうな、というちょっと残念な景色でした。実際西行がここで暮したのは、まだ若いころの数年らしいし、もちろん庵は、再建された新しいものなのですが、周りに何もない侘しい雰囲気が、前述の句にぴったりな気がしました。吉野山は、大峰山を経て熊野三山へ続く山岳霊場の修行道である大峯奥駈道の北の入口です。その”大峰奥駈道”自体が世界遺産に登録されています。そもそも、”大峯山”とは単独の峰を指す呼称ではなく、信仰および修行の場としての山々の総称であり、吉野山から山上ヶ岳に至る山岳聖地全体は”金峯山”と呼ばれるらしいのですが。この吉野山には、金峯山寺(きんぷせんじ)、大峯山には大峯山寺があります。この大峯山、未だに女人禁制・・・。大峯山寺には3-4時間の山登りをしなくては辿り着けず、つまり山にすら入れない女性は参拝できない・・・。祇園祭の山鉾にも、女性は入れないところがあり、時代錯誤と感じると同時に男に生まれればよかった、と思ったものですが。まぁ、その数倍の頻度で女でよかったと思うのでいいんですけど。おっと、話がそれてしまいましたね。さて、吉野の世界遺産のお話の続き。吉野山とともに、金峯神社・吉野水分神社・吉水神社・金峯山寺の4つが世界遺産の一部として登録されています。西行庵から少し山を下って、まずは、奥千本にある”金峯神社”にお参りしました。ひっそりとして人もまばらでした。秋の行楽シーズンでも、この山奥にまで来る観光客は少ないようです。境内には、かの源義経が隠れていたという、”義経隠れ塔”という簡素な塔もありました。その後は、かなり膝が笑いそうになる急な下り坂を歩いて上千本にある、吉野水分神社へ。水分と書いて、”みくまり”と読むそうです。朱色でちょっと派手目な門を入ると、中はやはりひっそり。神社の本殿は、萱ぶきで落ち着いた雰囲気でした。ここまで下って、やっと半分ほど山を降りたといったところでしょうか。さらに下って、中千本へ。ここまで来ると、観光客の姿も増えてきます。でもちょっとお天気が下り坂。とりあえず、お昼時になったので吉野名物の葛を練りこんだうどんと、柿の葉寿司を頂きました。柿の葉寿司は何度も食べたことがあるので、珍しくはなかったのですが、葛うどんはつるつるとのど越しが良くておいしかったです。お腹がいっぱいになったところで、中千本にある吉水神社と、金峯山寺に参りました。このあたりの参道には、吉野葛や葛菓子を売るお店、修験僧相手なのか観光客が買うのか、数珠やホラ貝!などのグッズ?を売るお店などが軒を連ね、冷やかしながら歩くのも楽しい。
吉水神社の門をくぐると、ちょうど上千本と奥千本の山を見上げられる展望スポットがあって、ここから桜の時期の景色はさぞ素晴らしかろう、とやっぱり初にもう一度来てみたくなりました。
ちょっと小雨が降り始めて、大慌てで最後の目的地である、金峯山寺へ向かいました。ここの大きな蔵王堂は上千本の方からもよく見える、吉野山のシンボル的存在です。前述した大峯山寺にも蔵王堂があり、どちらも役小角という人が創設し、蔵王堂には蔵王権現がまつられています。創設者の役行者は、鬼神を使役できるほどの法力を持っていたといわれ、左右に前鬼と後鬼を従えた下の写真のような像が有名な人です。
一日で回るには、移動距離が長かったかなぁ。往路をバスで行かなかったら、どうなっていただろうと思うほど、あまりに急な坂道のため、足が悲鳴を上げていましたが、今度はるに来るときのための下調べと思えば、十分すぎる成果でした。
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