今日も早起きして、遺跡観光です。昨日の一日でナイルの西岸のメインスポットを廻ったので、今日はナイル川の対岸に渡ります。
ナイル川を渡るには、フェリーなども出ていますが、車での移動のため今回は橋を渡りました。橋の入り口には銃を持った警備員がいて、ちょっと怖い・・・。古代エジプト人には、「死したものが再び蘇る」という思想があり、それは太陽が東の地平線から姿を現して、夕方に西の地平に姿を消す、そして翌朝には再び東の空に昇ってくる、という自然現象をと結びついています。そして、太陽の昇る東岸は「生者の町(アクロポリス)」として、王宮や神殿などを建て、太陽が沈む対岸のに来世があると考えて、ナイル川の西岸を「死者の町(ネクロポリス)」とし、墓地などの造営を行いました。
橋を渡ると、のんびりとした田畑の風景が通り過ぎ、遠くに見えていた岩壁がどんどん近づいてきます。そして、ネクロポリスの入り口にいきなりど~んと現れる、ネムノンの巨像→
高さ20mほどあるそうで、とにかくでっかい。本来は、ついになった巨像の後ろに葬祭殿が立っていたらしいのですが、今は発掘途中の瓦礫の山になっていました。しばし自由散策の時間をもらえたので、近くまでよって見ました。像には、アメンホテプ3世のカルトゥーシュが刻まれ、足元には妻や子供?の像も彫られています。岩の隙間は絶好の隠れ場のようで、たくさんの鳩が止まっていました。
ここまで近くによって見られるなら、後姿はどうなっているの?と、スフィンクスの時と同様に回り込んで見て来ました。まぁ、たいしたことなかったです・・・。
そうして、次は王家の谷へと向かう途中、まだ発見されてから歴史の浅い、労働者の町の後にも立ち寄りました。王家の谷の墓の建造のために、たくさんの労働者を集めて一つの村を作って住ませていたらしいです。それでも、王家の谷までは岩山一つ越えていかなくてはいけない距離なので、毎日通うのは大変だったことでしょう。センネジュムという職人さんの墓の中にも入れましたが、小さいながら壁画も描かれていて、とても保存状態がよくて美しい色彩がそのまま残っていてびっくり。しかも、他に観光客はいないのでほぼ貸切状態で見学できました。
さて、次に向かった王家の谷。上の写真の真ん中、ちょっと見にくいですが、ピラミッド型の岩山があり、それが王家の谷の目印です。西岸観光の目玉スポットですが、当然ながらお墓の中にカメラの持込み禁止。というわけで、入り口でしか写真を撮れず。入り口からは、ハトシェプスト神殿(下の写真)と同様に、電機で動くトラムに乗って移動。
まずは、今もミイラが眠るツタンカーメンのお墓に潜入しました。ミイラも古代エジプト人の死生観を顕著に表すもので死後の肉体を保存するということは、来世での生活のために欠かせないことでした。死者は再生・復活すると考えていたので、死者をミイラにして現世と変わらぬ身体で生活出来るように、家具や食べ物などの副葬品が納められたのだそうです。ツタンカーメンの墓は、他の王よりも小さくて、すぐ近くにラムセス6世の大きなお墓があったため、盗掘されないままミイラや副葬品ごと残されていました。副葬品に関しては、後日、考古学博物館に見に行くことになっているので、とても楽しみです。ここでも自由行動があり、入場券で入れる3つのお墓を見学しました。
昼近くになり、段々日が昇って来て暑くなりはじめたところで、ハトシェプスト神殿へ。ここも、遠目で見るとまるで映画のセットのようです。以前、テロで日本人観光客に死者がでたところ。確かに、だだっ広いテラスで攻撃されれば隠れる場所も逃げ場もない・・・。なんて考えながら、足を踏み入れたのですが、壮大なあまり見学しているうちに 、そんな事実は頭からぶっ飛びます。
ハトシェプスト女王は、自分の息子であるトトメス3世が幼少で王座に就いたので、摂政として権力を振るっていたのですが、野心家だった彼女はやがてエジプトで初めて、かつ唯一の女王となり、結局息子が成人しても王座を譲らなかったとか。それを恨みに思ったトトメス3世が王になってから、ハトシェプスト女王の壁画の顔の部分を壊したので、今もその姿のままで残されていました。こんな巨大な神殿を建てたり、大々的に外国との交易を行っていたという女王なので、政治力や統治力には長けていたと思うのですが・・・。実の息子にそこまで恨まれるなんて、複雑。
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