日曜日, 8月 15, 2010

平和祈念公園

奇しくも終戦記念日の今日、ここを訪れることになるとは。広島、といえば避けては通れない、原子爆弾のお話。宿泊したホテルからほど近いところに、原爆ドームと平和祈念公園がありました。観光気分で写真をとるのは軽率かとも思いましたが、凄絶な歴史を経て、廃墟となってもまだそこに佇む姿が、とても美しく見えました。
川沿いに咲く夾竹桃の鮮やかなピンクも、色を添えています。
うろ覚えな記憶ですが、原爆の被害の後、初めて咲いた花が夾竹桃だった、という話を聞いたことがあります。その後、ツアーガイドに率いられ、公園内を縦断して資料館へと向かいます。途中で、テレビで見たことのある慰霊碑の脇を通り過ぎました。後で、お参りしようと思いつつ、まずは資料館の中へ。
資料館で解散し、自由観覧となりました。
充分な時間を取ってもらいましたが、じっくり見るには時間がいくらあっても足りない資料の莫大さと重み。その重みに耐えかねて、だんだん直視するのも辛くなってきました。私は小学校の修学旅行は伊勢だったのですが、同行した友人は広島だったらしく、子供のころにも資料のいくつかを覚えていると話していました。資料のいくつかは悲惨すぎて、子供時代に見るとトラウマになってしまいそう。実際、自分も小学校の頃に8月6日の登校日に戦争映画を見て、怖くなった気持ちが甦思い出されます。
ちょっと息苦しくなったので、外の空気を吸いに出ました。慰霊碑の前で手を合わせた後、もう一度、原爆ドームを近くから眺めて来ました。
戦後の平和な時代が続き、経験者も年老いて少なくなってきて、だんだん戦争の話を聞く機会もなくなってきた現在、それはそれで幸せなことかもしれません。
私は祖父母から直接話を聞いたこともありますが、今の世代の子供たちは、知ろうという気持ちがなければ、戦争のことなどきっと教科書の上だけの出来事なのでしょう。でも、こうして世界遺産として登録されていることで、戦争に興味がなくてもやって来る観光客がいる、というのはきっかけとして大事なことなのかもしれませんね。
後で調べたところ、やはり夾竹桃の話は本当でした。原爆で焼土となった土地には、70年間は草木も生えない、と言われていましたが、その一年後の夏、いち早く咲いた花が夾竹桃だったそうです。そして、原爆からの復興のシンボルとして広島市の花にもなっています。
余談ですが、夾竹桃は乾燥や大気汚染に強く、街路樹や学校などによく植えられていますが、花、葉、枝、根、果実すべての部分に毒が含まれていて、生木を燃した煙でさえも毒性をもっているのだとか。白や紅色の綺麗な花を咲かせていますが、やはり美しいものには毒がある、ということでしょうか。

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