水曜日, 9月 30, 2009

エジプトのフルーツ&ビール

どんなご飯がでるのかは、旅の楽しみの一つ。
でも、エジプトは衛生状態がイマイチなので、下痢で観光を楽しめないよりはと、ほぼ全行程で食事つきのツアーでした。ガイドさんにも、生野菜や皮を剥かずに食べる果物は避けてくださいといわれた始末。
一応、エジプト料理といえば思いつくような、モロヘイヤのスープ、コフタ( エジプト風肉団子?)は食べさせてもらえたし、エジプトというより中東料理の雰囲気の、アエーシというピタパン、ババガヌーシ(焼きなすのペースト)、タヒーナ(ゴマペースト)、ファラフェル(豆のコロッケ)なんかも頂きました。どれも、それなりに美味でしたが、あんまり新鮮な味じゃなかったかな。そんな中で、一番のお気に入りはグアバ(右の写真の黄色いフルーツ、一緒に写っているのはイチジク)。洋ナシかと思ったら、やわらかくて種がいっぱいで、ちょっとパッションフルーツのような香りがして、めっちゃおいしかったのです。台湾で食べたのとは、見た目も味もちょっと違ったけれど、こっちの方が好き。
後、初めて生で食べたデイツ(なつめやし)。→この写真の、オレンジで細長い果物です。ドライフルーツでは食べたことがあったのですが、こちらもドライとはまるで別物。ドライは干しぶどうのようにねっとりして、濃厚な甘みがあるのですが、生だともっとあっさりした甘さで、何よりもまだ熟していない梨のような食感。どちらかというと、繊維が柔らかいサトウキビをしがんでいる感じに近いかも。プラムや桃も甘かったです。温暖だから、果物もおいしいのね、きっと。 そして 、食事のお供といえばやっぱりこれ。ビールっす。
エジプトはイスラム圏なので、敬虔なイスラム教徒(ムスリムという)は、お酒をいっさい飲みません。なので、街中でも観光客相手のお店以外で、お酒を扱っているところは少ない模様。古代エジプトでは、すでにワインを醸造する技術があったらしいので、お酒に関しての歴史も古いとは思うのですが。
エジプトで一番メジャーなのが、STELLA。たいていどこのレストランでも置いてました。暑い国らしく、すっきりとした飲み口です。
後は、ローカルものでルクソールとサッカラ。個人的にはサッカラが好みかな。

ネクロポリス

今日も早起きして、遺跡観光です。昨日の一日でナイルの西岸のメインスポットを廻ったので、今日はナイル川の対岸に渡ります。
ナイル川を渡るには、フェリーなども出ていますが、車での移動のため今回は橋を渡りました。橋の入り口には銃を持った警備員がいて、ちょっと怖い・・・。古代エジプト人には、「死したものが再び蘇る」という思想があり、それは太陽が東の地平線から姿を現して、夕方に西の地平に姿を消す、そして翌朝には再び東の空に昇ってくる、という自然現象をと結びついています。そして、太陽の昇る東岸は「生者の町(アクロポリス)」として、王宮や神殿などを建て、太陽が沈む対岸のに来世があると考えて、ナイル川の西岸を「死者の町(ネクロポリス)」とし、墓地などの造営を行いました。

橋を渡ると、のんびりとした田畑の風景が通り過ぎ、遠くに見えていた岩壁がどんどん近づいてきます。そして、ネクロポリスの入り口にいきなりど~んと現れる、ネムノンの巨像→
高さ20mほどあるそうで、とにかくでっかい。本来は、ついになった巨像の後ろに葬祭殿が立っていたらしいのですが、今は発掘途中の瓦礫の山になっていました。しばし自由散策の時間をもらえたので、近くまでよって見ました。像には、アメンホテプ3世のカルトゥーシュが刻まれ、足元には妻や子供?の像も彫られています。岩の隙間は絶好の隠れ場のようで、たくさんの鳩が止まっていました。
ここまで近くによって見られるなら、後姿はどうなっているの?と、スフィンクスの時と同様に回り込んで見て来ました。まぁ、たいしたことなかったです・・・。
そうして、次は王家の谷へと向かう途中、まだ発見されてから歴史の浅い、労働者の町の後にも立ち寄りました。王家の谷の墓の建造のために、たくさんの労働者を集めて一つの村を作って住ませていたらしいです。それでも、王家の谷までは岩山一つ越えていかなくてはいけない距離なので、毎日通うのは大変だったことでしょう。センネジュムという職人さんの墓の中にも入れましたが、小さいながら壁画も描かれていて、とても保存状態がよくて美しい色彩がそのまま残っていてびっくり。しかも、他に観光客はいないのでほぼ貸切状態で見学できました。
さて、次に向かった王家の谷。上の写真の真ん中、ちょっと見にくいですが、ピラミッド型の岩山があり、それが王家の谷の目印です。西岸観光の目玉スポットですが、当然ながらお墓の中にカメラの持込み禁止。というわけで、入り口でしか写真を撮れず。入り口からは、ハトシェプスト神殿(下の写真)と同様に、電機で動くトラムに乗って移動。
まずは、今もミイラが眠るツタンカーメンのお墓に潜入しました。ミイラも古代エジプト人の死生観を顕著に表すもので死後の肉体を保存するということは、来世での生活のために欠かせないことでした。死者は再生・復活すると考えていたので、死者をミイラにして現世と変わらぬ身体で生活出来るように、家具や食べ物などの副葬品が納められたのだそうです。ツタンカーメンの墓は、他の王よりも小さくて、すぐ近くにラムセス6世の大きなお墓があったため、盗掘されないままミイラや副葬品ごと残されていました。副葬品に関しては、後日、考古学博物館に見に行くことになっているので、とても楽しみです。ここでも自由行動があり、入場券で入れる3つのお墓を見学しました。
昼近くになり、段々日が昇って来て暑くなりはじめたところで、ハトシェプスト神殿へ。ここも、遠目で見るとまるで映画のセットのようです。以前、テロで日本人観光客に死者がでたところ。確かに、だだっ広いテラスで攻撃されれば隠れる場所も逃げ場もない・・・。なんて考えながら、足を踏み入れたのですが、壮大なあまり見学しているうちに 、そんな事実は頭からぶっ飛びます。
ハトシェプスト女王は、自分の息子であるトトメス3世が幼少で王座に就いたので、摂政として権力を振るっていたのですが、野心家だった彼女はやがてエジプトで初めて、かつ唯一の女王となり、結局息子が成人しても王座を譲らなかったとか。それを恨みに思ったトトメス3世が王になってから、ハトシェプスト女王の壁画の顔の部分を壊したので、今もその姿のままで残されていました。こんな巨大な神殿を建てたり、大々的に外国との交易を行っていたという女王なので、政治力や統治力には長けていたと思うのですが・・・。実の息子にそこまで恨まれるなんて、複雑。

火曜日, 9月 29, 2009

ルクソール神殿

ホテルの部屋からは、ナイルビュー。
夕陽をバックにゆったり進むファルーカ(帆掛け船)が 、何艘も見えました。1艘、2艘なら、非常に雰囲気があってよかったのですが、観光客相手の遊覧で10艘も並ぶとさすがに・・・。
さて、日が暮れるのを待って、再び観光へ出発。向かうは、ライトアップされたルクソール神殿です。かつては、3Kmほど離れたカルナック神殿と両脇にスフィンクスが両脇に並んだ参道で結ばれていたといいます。
このルクソール神殿は、約3500年前に建てられました。複数の王の手が加えられていますが、やはり長く権勢誇ったラムセス2世の力はは絶大だったようで、一塔門の前の一対の座像と立像に始まり、神殿内もラムセス2世像だらけです。カルナック神殿よりは小規模ですが、同じように彫刻の施された巨大な柱が並ぶ列柱廊があり、下からライトで照らされる姿はとても幻想的でした。 青い空、眩しい太陽の光の下で見る遺跡もよいですが、現代の人工の光でお化粧をされたかのような眺めも良いものですね。
ルクソール神殿の中には、イスラム教のモスクがあったり、ローマ時代に神殿の壁を漆喰で塗って描かれたという、キリストの最後の晩餐の絵があったりと、歴史とともに宗教の変遷があったことをうかがわせる。というか、古代の神から、キリスト教、イスラム教といろいろな宗教を受け入れ、かつ共存しているエジプトの柔軟さがすごい。もちろん、宗教の違いから生まれる諍いやテロなんかがあるのも、現実だけれども・・・。
見上げれば、青白い月。
その月に届けとばかりにそびえるオベリスク。今は一本しか立っていないオベリスクも、本来は対で存在したらしい。有名な話ですが、もう一本はパリのコンコルド広場に立っています。そういえば、去年の夏休みはパリでそのオリベスクを見たんだよなぁ。
エジプトで悠久の歴史ってものを目にしてしまうと、ほんとに一年なんてあっという間のことだなぁと痛感します。

カルナック神殿

早朝、まだ夜が明けないうちにカイロを後にして、空路でルクソールへ。ルクソールは、古代エジプトの都で”テーベ”と呼ばれていたところです。歴代の王が、たくさんの建造物を残していて、ルクソールの街全体が世界一の野外博物館とも称されるほど。なんでも、エジプトの世界遺産の3分の1が集中してある町らしいです。
今日と明日、2日かけての観光ですが、一日目はまずナイル東岸の遺跡観光から。当然すべて見廻れるわけはなく、ハイライトだけの駆け足観光ですが・・・。
大規模で、近代的できれいな空港から、まずは一路カルナック神殿へと向かいます。
空港から遺跡の眠る街中までは車ですぐ。まるで、映画のセットのような神殿の入口に到着しました。
第一塔門に向う参道には、頭が牡牛、体はライオンの形をしたスフィンクスが並びます。
塔門にも、古代の王や神々のレリーフが見事に彫刻されています。建造された当時には、すべてが極彩色で彩られていたそうで、ところどころその色が残っている部分もありました。
壮大な神殿は決して一代の王で建てられたわけではなく、なんと中王朝から新王朝時代にかけての1500年をかけて、それぞれの王が神殿を建て増し建て増しでここまで大きくなったそうです。それゆえ、レリーフの中には次代の王が、敵対する前王の肖像を削り取っていたりする、勢力争いの図がそのまま残っているようなところもありました。

一番圧巻だったのは、134本の巨大な柱の並ぶ、大列柱室。日の当るところは柱の上部が花の開いたパピルスを模っていて、影の部分は閉じた蕾の姿になっています。それぞれの柱の胴の部分にも、もちろん古代の神や王のレリーフ、王の名前を刻んだカルトゥーシュなどが彫られていました。
そうして、この列柱を抜けると、点にそびえるオリベスクが見えてきます。トトメス一世とハトシェプスト女王の捧げたオリベスクらしいです。 ハトシェプスト女王のオリベスクは、対になっていてもう一本立っていたのですが、残念ながら倒れてしまって、横たわったままの姿で置かれています。このオリベスク、遠くアスワンから切り出されていた石で作られていて、高さは30m以上、重さ300t以上とか。よくもまぁ、そんなに大きなものをここまで運んで来たもんです・・・。
倒れたオリベスクの近くには、人だかりができている大スカラベの像がありました。願い事をしながら、7回(もちろんそれ以上回れば回るほど、ご利益はあるそうですが)周りを回ると、その願いをかなえてくれるそうです。とりあえず、私もぐるぐる回って来ましたが・・・。
さて、すっかり日が昇り、熱くなってきたのでいったん昼食をはさんで休憩です。また日が暮れてから、ライトアップされたルクソール神殿を見に行きま~す。
とはいえ、ゆっくり休憩などするはずもない私達。食後はルクソール博物館を見学、その後は街のスークを散策しましたよ。





月曜日, 9月 28, 2009

ピラミッドの歴史

午後は少し離れた周辺の村々へ、ピラミッドを求めて小旅行。
まずは、ダハシュールへ。ここには、大ピラミッドを建てたクフ王の父である、スネフェル王が建てた”赤のピラミッド”があります。これが、今でいうピラミッド型と呼ばれる真正四角錐の形で作られた初めのピラミッドだと言われている。花崗岩で出来ていて、赤く見えることからこう呼ばれていますが、太陽の日差しがつよいせいか、さほど赤みを帯びて見えませんでした・・・。
周りは見渡す限りの砂漠ですが、遠くにはスネフェル王が建てたというもう一つのピラミッドが見えます。これも、その見た目から”屈折ピラミッド”と呼ばれています。建設途中で、ピラミッドの傾斜角度が変更されたため、途中で折れ曲がった形をしています。途中で王がなくなったため完成を急いだからだとか、もともとこの形が予定されていたとも言われていますが、下部分の角度では、急すぎて崩れてしまう恐れが高かったので、急遽設計変更したとの説が有力なようです。それを示すかのように、遠くには実際に崩れてしまったピラミッドも見えました。それにしても、これらのピラミッドは紀元前2500年ごろ建てられたというのですから、驚きです。
クフ王のピラミッドで懲りたので、内部に入るのは遠慮して、次は最古のピラミッドを拝みにサッカラへと向かいました。
そもそも、ピラミッドの始まりは”マスタバ”と呼ばれる、日本の古墳のようなものだったらしいです。形は台形型であり、ちょうど左の写真の”階段ピラミッド”の一番下の段だけのような様相でした。ところが、太陽の神に近づくために、より高い建築物を求めたジョセル王が、このマスタバを何段も重ねた形を作らせ、それが後々のピラミッドに繋がっていったというわけです。
やがて後世の王たちが、より太陽光の形に近い、滑らかな直線の四角錐ピラミッドを作るようになり、試行錯誤の上、ギザの3大ピラミッドに見られるような完璧な形のものが作れるようになったんですね。
ホテルに帰ったら、昨日は見逃してしまった部屋からのピラミッドビューに間に合いました。夕闇に浮かび上がるピラミッド、数々の歴史を聞いた後だと、より感慨深く感じます。
ところで、写真の中の白い斑点。多分、砂の粒子かなんかの反射なのですが、連れは”テレビの心霊特集で、魂だと言っていた”、と言い張っていました。まぁ、5000年の歴史がある場所ですから、そんなことがあっても不思議ではないですが・・・。

ギザ

意気込んで起きてすぐに窓からピラミッドを臨んだものの、曇りなのか砂煙のせいなのか、イマイチはっきりと見えずがっかり。見上げた空は快晴なので、やっぱり朝靄か砂ぼこリが邪魔している模様。
ならば間近で拝もうと、朝一番で三大ピラミッドに向かいました。入場口から一番近いのは、最大のクフ王のピラミッドだったのですが、やはりデカイ!!!カメラのフレームに収まりきりません・・・。
むしろ、遠くにかすんで見える2番目のカフラー王のピラミッドとラクダで佇むおじさんがいい感じ→
三大ピラミッドはどれも内部への入場が出来るのですが、我々のツアーではクフ王のピラミッドに潜入。中は暗くて急な坂が続き、狭いので、閉所恐怖症の人にはオススメできません。しかも、蒸し風呂状態で熱いわ熱いわ・・・。私は、このピラミッドエクササイズ?で、また膝痛がぶり返してしまいました。
その後、カフラー王のピラミッドを近くから見上げて、その裏の太陽の船博物館へ。解体して埋葬されていた船を復元しちゃう現在の技術もすごいけれど、何より木製のものがこんなに長く原型を留めて残っていることにびっくりです。4000年以上前のモンですもん!!!やはりピラミッドパワーは偉大!?
ピラミッドが3つ並んで見える展望ポイントで、記念撮影。ラクダ君、ポーズを決めてくれてありがとう。そして、このやたらカラフルなボンボンで飾り付けられたラクダ君にも乗っけてもらいました。鞍にまたがると、後ろ足から立ち上がるので前につんのめって落ちそうでした。かつ、馬より断然高~い、です。降りる時も同様、前足から屈むので、これまた落っこちそうになりました。ま、落馬ならぬラクラクバしなかったので、良しとしましょう。
最後は、スフィンクスとご対面して、3大ピラミッドを後にしました。残念ながら、スフィンクスはかなり風化が激しく、お顔ははっきり残っていません。おまけに立派なお髭があったのに、未だ大英博物館から返してもらえないそうです。
スフィンクスの見つめる先には、今はケンタッキーがある、というのは有名な話のようですが、このお店、1階はケンタッキーで2階はピザハットでした・・・。
むしろ、後姿の方が珍しいのではと、お尻の方まで回りこんで激写!
思いのほか長~い尻尾がありました。

日曜日, 9月 27, 2009

さて

しばらく、ブログの更新もせず、お出かけ好きの私がシルバーウィークに家にこもりっきり・・・。まぁ、仕事が立て込んだり、プライベートでも交々あったわけですが、一番の理由は、今日からの夏休みのために大人しくしていた、というところでしょうか。
去年の夏休みは7月だったので、それに比べるとかなり遅めの夏休み。どこに行くかはゴールデンウィーク明けくらいから考え始めて、そこからじりじり今日が来るのを待ちに待っていたわけです。
向かう先は”エジプト”。子供の頃から憧れていた、古代遺跡への旅です。あまり治安がよいとは言えない国ですから、もちろんツアー旅行で、早足の日程ですが、楽しむ気合は十分です。
嬉しいことに、関空からカイロまでは直行便が出ています。初めて利用する、エジプト航空。シンボルマークはハヤブサの姿をした古代エジプトの天空を司る神、”ホルス”。飛行機運の悪い私にとって、とっても心強い味方です。・・・、が案の定、搭乗は30分遅れとなりました。トホホ。
カイロ到着は、夜。そこから車で三大ピラミッドで有名なギザに向かいました。ホテルはピラミッドビューの部屋のはずでしたが、ライトアップなしでは全く姿を拝むことが出来ず・・・。明日に備えて、とっとと床に就きました。

日曜日, 9月 13, 2009

ダリア

今日のテーマは、ダリアを使ったアレンジ。珍しく?真っ当に、テーマに沿ったお花選びをしました。いろんな種類のダリアがあったのですが、黒蝶は以前に使ったし、色調は気に入ったもののオレンジのダリアは少し花が小ぶりで、大輪のダリアを見てしまうと迫力負け。結局、白か紫がかったピンクで迷って、両方使ってしまえ、ということになったからです。
大輪のダリアに合わせて、今回は花器も30cmくらいある大物ゆえ、ボリュームのある花を選ばないと隙間が目立つ悲しい仕上がりになってしまいます。というわけで、藤色と淡いピンクのトルコキキョウを脇役に、色目も花の種類もぐっと控え目にまとめてみました。白、ピンクと大輪のダリアに加えて、小ぶりながら艶やかな紫のダリアも投入。まさにダリア尽くし。
唯一、目新しいのはセルリアというお花。トルコキキョウと違って、とがった花びらをした少しピンクを帯びた、白い花です。レッスンに行ったときは、まだこの花の謂れは知らなかったのですが、かわいくて一目ぼれでした。

火曜日, 9月 01, 2009

9月になれば

6月末に作ったオリーブ石鹸、熟成に1ヶ月半から2ヶ月かかるとのことだったので、きりよく9月になったら解禁しようと思っていました。鹸化の温度が高かったせいか、ジェル化してしまったために箱から出して切り出す際に柔らすぎてちょっと型崩れしちゃってますが・・・。
見た目はともかく、真っ白な出来上がり。前評判で、泡立ちはイマイチとのことだったので、市販の洗顔用の泡立てネットを使ってみました。
すると、ふんわりホイップのような泡がたっぷり→
手で泡立てるだけでも、なんとか使用には耐える程度の泡は出ます。非常に柔らかい石鹸なので、すぐに溶けちゃって減りは早いですが、市販のものでは製造過程に取り除かれてしまう保湿成分のグリセリンがたっぷり含まれているので、洗い上がりはしっとりでなかなかよい感じです。まずは成功、と言ってよい出来上がりに満足。今度は色付けしたり、香り付けしたり、ちょっとレベルアップした石鹸に挑戦してみたいです。