でも、祇園祭のもう一つのクライマックスとも言われている”神輿渡御”には何とか間に合うことが出来ました。私が四条界隈に着いた時間には、巡行はとうに終わり、それぞれの町内に戻った山鉾も解体されていましたが、神輿渡御は日が暮れ始めた6時ごろから始まります。
そもそも、祇園祭は八坂神社の祭りで、疫病を鎮める祈願を込めて、卜部日良麿という人が66本の矛を立て、神輿3基を送り、牛頭天王を祀って御霊会を行ったのが始まりだそうです。その後、室町時代に入って、町ごとに風情を凝らした山鉾を作って巡行させるようになったのが、今の姿らしいです。
そんな歴史も知らないで、去年は浮かれて宵山に出かけたものですが、無形文化財に登録されたと聞いて、ちょっとお勉強しました。というわけで、本来の神社の中心行事である神輿のお姿を拝まねば、と思い立ったわけです。
東御座、中御座、西御座の3基の神輿が祇園八坂神社の石段下に集結し、1000人以上もの男達に担ぎ上げられ練り暴れて、その後は神輿はそれぞれ別ルートにて御旅所へ向かう、という神事。神輿が暴れ狂う様から、暴れ神輿ともいわれるそうです。
神輿毎に、それぞれの氏子の町衆がお揃いの半被姿で、かなりの盛り上がりっぷり。見物客も、歩道から書道に溢れ、中にはアーケードの上から眺めている人までいる始末。いつもはおしとやかで、悪く言えば他人行儀な京都人も、この日ばかりは祭りの熱気にまるで人が変わったよう。
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