土曜日, 7月 17, 2010

神輿渡御

祇園祭といえば、山鉾巡行。昨年の9月には、ユネスコの世界無形文化遺産に登録されています。今年の山鉾巡行の日程は土曜日だったので、見に行けるかも、と思っていたのですが、やはり仕事で行けませんでした。
でも、祇園祭のもう一つのクライマックスとも言われている”神輿渡御”には何とか間に合うことが出来ました。私が四条界隈に着いた時間には、巡行はとうに終わり、それぞれの町内に戻った山鉾も解体されていましたが、神輿渡御は日が暮れ始めた6時ごろから始まります。
そもそも、祇園祭は八坂神社の祭りで、疫病を鎮める祈願を込めて、卜部日良麿という人が66本の矛を立て、神輿3基を送り、牛頭天王を祀って御霊会を行ったのが始まりだそうです。その後、室町時代に入って、町ごとに風情を凝らした山鉾を作って巡行させるようになったのが、今の姿らしいです。
そんな歴史も知らないで、去年は浮かれて宵山に出かけたものですが、無形文化財に登録されたと聞いて、ちょっとお勉強しました。というわけで、本来の神社の中心行事である神輿のお姿を拝まねば、と思い立ったわけです。
東御座、中御座、西御座の3基の神輿が祇園八坂神社の石段下に集結し、1000人以上もの男達に担ぎ上げられ練り暴れて、その後は神輿はそれぞれ別ルートにて御旅所へ向かう、という神事。神輿が暴れ狂う様から、暴れ神輿ともいわれるそうです。
河原町から八坂神社までは、すごい人出で神事が始まる予定の6時には辿り着けず、3基そろい踏みには間に合わず・・・。中御座、西御座の2つの神輿の行列が四条通を通って行く姿を人混みにもまれながら見て来ました。
神輿毎に、それぞれの氏子の町衆がお揃いの半被姿で、かなりの盛り上がりっぷり。見物客も、歩道から書道に溢れ、中にはアーケードの上から眺めている人までいる始末。いつもはおしとやかで、悪く言えば他人行儀な京都人も、この日ばかりは祭りの熱気にまるで人が変わったよう。 
鎧兜の騎乗の武士装束に先導され、刀や弓矢、楽器などを持った神装束の人々が続く中、白馬に乗ったお稚児さんの姿もありました。このお稚児さん、誰でもなれるわけではなく、京都で代々続いた由緒ある家柄から選ばれ、祭りの期間は、足を地面についてはいけない、女性と接触してはいけない、などなどいろんな制約を守らなければならない、大変なお役目だそうです。下世話な話ですが、衣装代などでかなりのお金も必要なんだとか。

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